自分、人間向いてないんで

社会不適合者の人生消化試合ブログ 生きるの向いてない

仕返ししてくる

私はよく留年留年言っているけれど実は一応修了するだけならできなくもない。ただそれだと就活していないしD進するには不十分な修論になる可能性が高く行き先がなくなるので運良く良い結果が出ない限りいずれにしても留年が最適解になる。ただ今の私の体調ではその良い結果を出すのが難しい。絶対無理とはいわないがかなり厳しい。なので気が向いたときにのんびりやって来年の夏に修了できれば良いかと思っている。博士なら秋入学があるので。

さて早いもので12月で祖父母の一周忌になる。何もしていなかったのですごく早く感じる。まあ何かしていても早いのかもしれないが。まあとにかく私の人生で一番ショックが大きかったのはこのことだろう。正直に書くと去年の私の取り乱し様はかなりひどいものだった。夜に祖父が死んだと連絡を受けたあとひどく混乱してセラミックヒーターを蹴って壊してしまい気を落ち着けるために安定剤や眠剤、ブロンなど部屋にある薬を片っ端からODしたもののどうにもならず泣きわめき結局朝まで眠れなかった。結局日がわりかし傾いてきたころに起きてから出発したので祖父母の家へ到着したころには夜になっていた。私が向かっている途中で祖父の遺体は移動されていてその日は顔を見れなかった。とりあえず会うのは久しぶりだったので寝たきりになるまで衰弱した祖母に話しかけて父の家へ行った(両親は別居中で私は母と折り合いが悪いので)。そして次の日の朝には祖母も亡くなっていた。祖父が亡くなったことで生きる意志を失ったのかもしれない。まあ想像に過ぎないが。結果として私は3日間でこの世でもっとも好きだった祖父母を亡くした。この週というか月はほぼ毎日泣いていたと思う。その後葬式には上の空ながらなんとか出て学校があるので家に帰った。英語では上の空をa million miles awayと言ったりするらしいが私は160万kmどころか160光年くらい離れていた気がする。12月の残りは大学には行ったものの加群とかやった気がするけど何をしていたかあまり覚えていない。そして元から良くはなかった精神状態が悪化してどうしようもなくなったので正式に病院へ通い始めた。その後はなんとかレポートなどを提出して春休みになり薬を飲んでただひたすら寝ていた。日常生活もまともにできず食欲がないのでドクペが主食となり風呂も3日に一度という有様だった。この時期が一番きつかった。その後多少は動けるようにはなったが研究はほとんどできなかった。コロナの影響でゼミがZoomになったこともあり何とか誤魔化していたが結局夏休み前に力尽きて教授に状況を話し、夏休みなのでとくに手続きとかはなかったが研究をやめて事実上の休学になった。2ヶ月ほどの休息を終えて研究を再開したが体調は安定せず研究の進捗が2週間何もなかったりして今もあまり上手くいっていない。

おそらく一周忌に一度帰省すると思う。しかしかわいがっていた孫をここまで悲しませるとは全くひどい祖父母である。私は2人が誰よりも大好きだったのに。今度墓参りに行ったら仕返しに墓前で思いっきり泣き喚いてやろうと思う。