自分、人間向いてないんで

社会不適合者の人生消化試合ブログ 生きるの向いてない

こんな私でも祖父母が大好きだった

多少動けるくらいにはなってきました。でもまあやはり哀しいものです。

祖父の訃報が届いたのは今月上旬のことである。死因はよく聞いていないが入浴中に何らかの原因で意識を失ったことらしい。祖父は80代後半で平均寿命や中央値、最頻値も超える年齢ではあったが特別大きな持病はなく認知機能も正常でしばらくは大丈夫だろうというのが親族の見解であった。むしろ数年前から認知症を患い寝たきりとなり最近はまともに食事を取れなくなっていた祖母の方が限界が近いと思われていて、私も本来ならこの冬休みに会いに行くつもりだった。

私の両親は不仲で父は家にいないことが多く、また母も情緒が安定せず他者には理解できない独自の基準で気に入らないことがあるとすぐヒステリックに怒り出す人物だったため実家の居心地は最悪だった。そのため私は昔から土日などは出来る限り自転車で15分ほどの祖父母の家によく避難していた。当時の私にとって祖父母宅が唯一の落ち着ける場所であり2人が安全基地だった。

正直連絡を受けた日のことは混乱していて正確に覚えていない。電話が来たのが夜で祖父母宅まで当日中に行くのは時間的に無理だったのでとりあえずスーツをクローゼットから引っ張り出し、気を落ち着かせるために部屋にあった安定剤を服用したが全く効果がなかったのでODして眠剤なども結構飲んだがそれでもどうにもならず時間は覚えていないが結局朝日が昇ってもしばらく眠れなかった。そして昼を大分回ったころに起きてから着替えなど荷物を適当にまとめて(まあ頭が回らずシャツなどを忘れていたのだが)祖父母の家に向かった。

祖父母の家に着いた私はいないことはわかっていたが、出迎えてくれた叔母をほとんど無視して真っ先にいつも祖父がTVを見たりしていた居間を確認し、その後2階の祖父の部屋を見に行った。しかしやはり祖父はどこにもいなかった。そこでようやく私は祖父が死んだことを改めて認めた。私が着いた時点で祖父の遺体は葬儀の準備のため移動されていたのでその日は見ることができなかった。

1階の居間に戻ると先ほどは視界に入れただけだったが寝たきりの祖母がいた。しばらく会っていなかったが状態が悪化しているのは明らかだった。私は出来るだけ平静を装いながら(まあ実際はほとんど泣いていたのだが)祖母に話しかけてみたが反応はするものの衰弱していて上手く話せないようだった。それでも話しかけながら手を握ると力が入らない手で少し握り返そうとしてくる。以前は明るすぎるくらいだった祖母がここまで弱っていたのが悲しかった。しばらく話したあと「また来るね」と言って祖父母の家を出た。それが私の見た祖母の最後の姿となった。

翌日やや遅めに起きると祖母が夜眠っている間に息を引き取ったことを聞かされた。また会いに行くと言ったのは叶わなかった。改めて祖父母の家に行くと祖母は前日と変わらない状態でベッドに寝ていた。顔にかけられた白い布以外は。布を外して顔を見るとただ眠っているだけのように見えた。しかし頬に触れてみると冷たかった。泣きながら用意されていた線香をあげた。しばらく動かない祖母の傍から離れることができなかった。

祖父の葬儀がその2日後だったので1日空いたはずだが何をしていたのかあまり記憶にない。覚えている範囲では祖父が好きだったのでビールを飲んでみたり、追悼としてKomm, süsser Tod甘き死よ来たれやWelcome to the black paradeを聴いていた。今思うとその選曲はどうなんだという気がしないでもないが。まあ祖父はサンデーを購読していて神のみやハヤテあたりは知っていただろうから良いだろうきっと。

祖父の葬儀の日になり慣れない礼服を着て斎場へ向かった。葬式については私はよく知らないが家族葬という形式らしい。他に付き合いのあった近所の人などが少し来ていたくらい。祖父に別れを告げたあと私は火葬中どうしようもなく1人でずっと泣いていた。私は他人には飄々として無感情に映るようで、実際そういった批判を受けることもあったので私がそこまで悲しむのは意外だったかもしれない。しかしそんなことはどうでも良かった。ただただ悲しかった。その後祖父母の家へ行って一時的なダンボール製の簡易な仏壇を叔父と組み立てて遺影と骨壺を乗せた。次は祖母もかと思うと気が重かった。

祖母の葬儀は3日後でその間私には何もできることがなく、講義やゼミなどがあるため一度大学近くのマンションに戻ることにした。駅で電車を待ちながら線路に飛び込めば自分も死ねるのかと少し考えたが、それはアンフェアな気がして少なくとも祖母の葬式は出ようと思った。家に着いてとりあえずゼミの準備をしようと論文を読み始めたが全く手に付かず結局朝になって寝落ちするまで泣いていた。そのせいか起きたら体調が悪かったのとどうせ行っても無意味なので大学はさぼった。次の日も講義があったが眠れず結局1コマ目は寝過ごし2コマ目に遅刻してほぼ完成していた単位取得に関わる課題を提出するだけしかできなかった。まあ最低限の最低限だけはやって祖父母の家の方へまた向かった。その日もなかなか寝付けなかったがとにかく仮眠程度は寝た。

当日になりまた葬儀場へ向かった。祖母の棺に泣きながら花を手向けた。私がなかなか離れなかったので葬儀場の人は少し困ったかもしれない。火葬を待つ間は遠方から来てくれた親戚の人達と少し話をした。その後しばらくして葬儀が終わった。

祖父母の家へ戻ると先日組み立てた仏壇があった。2人の写真が乗っているのがやはり哀しかった。いつかは見ることになる光景だった。でも見たくなかった。少し離れた所に座って2人を偲んだ。私が遊びに行くとそれだけで喜んでくれた2人。無口であまり喋らなかったけれど一緒に野球中継を見てくれた祖父。デーゲームとナイターがあるときは6,7時間は付き合ってくれたんじゃないだろうか。他にもアニメとかディスカバリーチャンネルとか色々見た。それを見ながらなぜか無限にお菓子を勧めてくる祖母。祖母の作る料理は美味しかった。私はこの世界のどんな料理よりも好きだった。

生前祖父は寝たきりになった祖母を看取るまでは死なないと好きだった酒もやめて摂生に努めていたようだ。一方で祖母も祖母で祖父のことが心配だったらしく毎日何かあると祖父を呼んでいたらしい。しかし祖父がこの世を去ってから祖父のことを呼ばなくなった。そして私が連絡を受け会いに行った日の夜眠っている間に息を引き取った。こうして温かい2人の意地の張り合いは終わった。

5年近く前に実家が苦痛で遠方の大学に入り引っ越してから祖父母とは年に1,2回くらいしか会えていなかったのが心残りである。もっと話したりしたかったし学校が落ち着いたら出来ると思っていた。しかし悲しいが2人にこれ以上生きていてくれという方が酷な話だったのかもしれない。私にとって2人はいてくれただけでありがたい存在だった。親は条件付きの愛情しかくれなかった(というかそれすら怪しい)が祖父母はこんな私でもいつも可愛がってくれた。それだけで嬉しかった。結局生きているうちに言えなかったが今までありがとう。そう伝えたい。